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健常者とは

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これは僕が常日頃から思っていることがあります。障害者と健常者の違いってなんだろうって。

もちろん社会の中では、至る所で障害者としてカテゴライズされるのが僕。それは間違いのない事実だし、覆そうとは思っていない。
でも逆に、僕は健常者でもあると思っているのです。

特定の慢性疾患を抱えておらず、日常生活行動にも支障のない人のことである。

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調べてみるとこのようにありますが、正直なところ僕は日常生活も難なくこなしています。
もちろん人にもよりますが、様々な工夫を凝らして生活をしている人もいるはずです。

僕は幸い左腕がないだけで、多分ある程度のことは自分でできると思っています。その証拠に一人暮らしをして4年ほど経過をしたところです。掃除に洗濯に自炊、なんでもやっています。車も運転しています。

となると、もう健常者の枠にも片足を踏み入れているのでは?と本気で思っています。

僕の思う健常者とは

ただ天地がひっくり返っても、僕が障害者であることは変わりないです。

そこで僕は健常者と言う言葉を「心が常に健やかな人」と思っています。つまりどんな人でも健常者になれるという考えを持っているのです。
性別や身体の大小はもちろん、障害の有無についても関係なくなれるのが健常者だと!

健常者には誰でもなれるけど、障害者にはなりたくてもなれない。そもそもなりたくてなるようなものではありませんが(笑)。でも健常者に関しては、なりたいと思えばなれてしまう。そんな関係性であると僕は思っています。

心持ち次第で誰でもなれるのが健常者。

相手を思いやる気持ちは大事だけど、線を引くのは寂しいなって。
だって健常者同士だって支え合っているのが現状だし、逆に障害者からパワーをもらう健常者だっているじゃないですか。

今の世の中は健常者の方が障害者よりも、優位性を持っているのが前提としてあるのかなって思うのです。

では、僕は?

そして話の元である「健常者」についてですが、僕としてはこの世にいる人全員がなれるものであって、全員がカテゴライズされるものだと思っています。
つまり僕は健常者の中にある、障害者というカテゴリーに属す人間。左腕がないことが私生活において、隔たりとなることもあります。なのでそこは開き直って障害者です。
でもそうでない場合は健常者としても生きられる。

そう考えたら、僕は二つの立場からものが見れるわけだから、ある意味幸せなんだなって思っています。

そんな幸せな僕のブログを本日も読んでいただいて、ありがとうございました。

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